地獄の日々(研修編)
2005年4月3日 日常昨日全部書こうかと思ったけど前泊だけで1700字を超えてしまったので今日続きを書きます。
26日の夜
あれから部屋に入り、床につきましたが・・・全然寝られない。
でも、寝ないと明日が厳しいのでなんとか寝ました。
寝ていると・・・
放送「研修生に告ぐ!!全員すぐに起床してロビーに集まれ!!!」
という放送が流れたのであわてて飛び起きましたが、部屋の皆は熟睡中。
しばらくボーっとしていても静かなままだったので初めてさっきの放送が俺の夢の中の出来事だったということに気付きました・・・こんな恐ろしい夢を見たのは久し振りでした・・・
その後も1、2時間おきに起きてあまり寝れないまま朝がきました・・・。
3月27日
起床してボーっとしてたら・・・
馬鹿デカイ音量で社歌が流れ始めました。
毎朝こんなの聞くのかよ・・・起床してすぐに鬱な気分になりました。
近所の住民から苦情がくるのはこの社歌が原因なのではないでしょうか?
その後朝食を食べるため、4Fにある研修室へ行く。
俺らの班が着いたときにはほとんどのやつらがいました。
皆起床が早すぎるよ。
朝食は・・・弁当でした・・・それもかなり量がある。さらにご飯と味噌汁までセット。
・・・朝からこんなに食えるわけねーだろ!
結局半分くらい残しました。朝からあれだけの量を食えるやつはあんましいないと思います。でもなかにはおかわりをしている兵(つわもの)もいました。
朝食後は部屋に戻り、待機。
8時くらいになり大阪支社の人たちが合流して研修生が全員そろいました。
その後は開校式やって、やたら量がある弁当を食べて講義を受け、またやたら量のある弁当を食べてやっと夜がきました。
1日がこんなに長いなんて今まで思ったこともありませんでした。
多分2005年3月27日は俺にとって一生で一番長い一日になると思います。
それくらいきつかった。講義は退屈。でも寝たら教官に殺される。デカイ声を出せと言われたり・・・・・
初日を過ごしただけでもう一週間ここにいるような気分でした。
3月28日
研修二日目の朝がやってきました。
この日も昨日同様睡眠はあまりとれませんでした。
でも2、3時間おきに起きるので多少改善されました。
しかし、恐怖のあまりチ○コは完全に縮こまり、性欲度は0です。(昨日もこんな感じでした。)
昨日同様やたら量のある弁当を食べて研修二日目がスタート。
この日の晩に鼻血が出血して大変な目に遭いました・・・。
この日の晩にやっとチ○コが弱弱しいが○起しました。少し安堵。
3月29日
研修三日目
この日はやっと途中に起きずに朝まで寝れました。
でも起床と同時に頭痛がしたので鬱な気分でした。
チ○コにいたっては相変わらず性欲0の状態でした・・・。昨夜は多少○起したものの朝になると恐怖で縮こまってしまいます。
この日くらいから外に出られないことに嫌気がさしてき始めました。
この日の夜にやっとチ○コが普通に○起したので少しずつではあるが性欲が戻りつつある。
3月30日
研修四日目
この日は初めて社歌で起こされました。それくらい熟睡したました。
頭痛は治りましたが・・・デカイ声を出しすぎたので喉が痛くなりました。
この日は日本対バーレーン戦がありましたが、のんびりテレビを見る暇など無いので翌日にケータイで日本の勝利を知りました。
3月31日
研修五日目
相変わらず喉は痛いです。
睡眠はまた悪化して3時間おきに起きるような感じでした。
この日講義で初めて外にでることができました。
外に出た時間は20分くらいでしたがとても嬉しかった。
太陽に浴びないと人間って変になってくるもんなんですね。
この日筆記試験がありましたが、89点とれたのでよかったです。
4月1日
研修最終日
ついにこの日がきました。
教練の実技試験を受けてなんとか全員合格したので良かった・・・。
最後に写真を撮ったり感想文を書いたりして閉校式が無事終了してやっと帰れるときが来ました。
昼飯の弁当を食べてやっと出所!
研修所を出たときの開放感はとても気持ちのいいものでした。
またあのややこしい地下鉄に乗り、新大阪駅に到着。
そこから「のぞみ」で広島まで行き「こだま」に乗り換えて田舎駅まで帰りました。
駅に到着したときに空気が綺麗だったので山口も多少はいいなと思えました。
研修は本当に厳しかった。内容を細かく書いたら疲れる(詳細に覚えていない)ので省略しましたが・・・本当に地獄でした。
でも、この地獄を耐えたらこれからの職務も耐えれるみたいです。
あの研修所は「経費削減」とか言ってるけど削減するんなら、やたら量がある弁当を削減した方がいいと思う。完食できたことは一回もない(最高でも8割)が限界です。
あとで山口の人に何人か聞いたけど皆性欲度が0だったみたいです。まぁあんなとこに一週間もいれば当然だと思います。(俺だけじゃなくて良かった)
26日の夜
あれから部屋に入り、床につきましたが・・・全然寝られない。
でも、寝ないと明日が厳しいのでなんとか寝ました。
寝ていると・・・
放送「研修生に告ぐ!!全員すぐに起床してロビーに集まれ!!!」
という放送が流れたのであわてて飛び起きましたが、部屋の皆は熟睡中。
しばらくボーっとしていても静かなままだったので初めてさっきの放送が俺の夢の中の出来事だったということに気付きました・・・こんな恐ろしい夢を見たのは久し振りでした・・・
その後も1、2時間おきに起きてあまり寝れないまま朝がきました・・・。
3月27日
起床してボーっとしてたら・・・
馬鹿デカイ音量で社歌が流れ始めました。
毎朝こんなの聞くのかよ・・・起床してすぐに鬱な気分になりました。
近所の住民から苦情がくるのはこの社歌が原因なのではないでしょうか?
その後朝食を食べるため、4Fにある研修室へ行く。
俺らの班が着いたときにはほとんどのやつらがいました。
皆起床が早すぎるよ。
朝食は・・・弁当でした・・・それもかなり量がある。さらにご飯と味噌汁までセット。
・・・朝からこんなに食えるわけねーだろ!
結局半分くらい残しました。朝からあれだけの量を食えるやつはあんましいないと思います。でもなかにはおかわりをしている兵(つわもの)もいました。
朝食後は部屋に戻り、待機。
8時くらいになり大阪支社の人たちが合流して研修生が全員そろいました。
その後は開校式やって、やたら量がある弁当を食べて講義を受け、またやたら量のある弁当を食べてやっと夜がきました。
1日がこんなに長いなんて今まで思ったこともありませんでした。
多分2005年3月27日は俺にとって一生で一番長い一日になると思います。
それくらいきつかった。講義は退屈。でも寝たら教官に殺される。デカイ声を出せと言われたり・・・・・
初日を過ごしただけでもう一週間ここにいるような気分でした。
3月28日
研修二日目の朝がやってきました。
この日も昨日同様睡眠はあまりとれませんでした。
でも2、3時間おきに起きるので多少改善されました。
しかし、恐怖のあまりチ○コは完全に縮こまり、性欲度は0です。(昨日もこんな感じでした。)
昨日同様やたら量のある弁当を食べて研修二日目がスタート。
この日の晩に鼻血が出血して大変な目に遭いました・・・。
この日の晩にやっとチ○コが弱弱しいが○起しました。少し安堵。
3月29日
研修三日目
この日はやっと途中に起きずに朝まで寝れました。
でも起床と同時に頭痛がしたので鬱な気分でした。
チ○コにいたっては相変わらず性欲0の状態でした・・・。昨夜は多少○起したものの朝になると恐怖で縮こまってしまいます。
この日くらいから外に出られないことに嫌気がさしてき始めました。
この日の夜にやっとチ○コが普通に○起したので少しずつではあるが性欲が戻りつつある。
3月30日
研修四日目
この日は初めて社歌で起こされました。それくらい熟睡したました。
頭痛は治りましたが・・・デカイ声を出しすぎたので喉が痛くなりました。
この日は日本対バーレーン戦がありましたが、のんびりテレビを見る暇など無いので翌日にケータイで日本の勝利を知りました。
3月31日
研修五日目
相変わらず喉は痛いです。
睡眠はまた悪化して3時間おきに起きるような感じでした。
この日講義で初めて外にでることができました。
外に出た時間は20分くらいでしたがとても嬉しかった。
太陽に浴びないと人間って変になってくるもんなんですね。
この日筆記試験がありましたが、89点とれたのでよかったです。
4月1日
研修最終日
ついにこの日がきました。
教練の実技試験を受けてなんとか全員合格したので良かった・・・。
最後に写真を撮ったり感想文を書いたりして閉校式が無事終了してやっと帰れるときが来ました。
昼飯の弁当を食べてやっと出所!
研修所を出たときの開放感はとても気持ちのいいものでした。
またあのややこしい地下鉄に乗り、新大阪駅に到着。
そこから「のぞみ」で広島まで行き「こだま」に乗り換えて田舎駅まで帰りました。
駅に到着したときに空気が綺麗だったので山口も多少はいいなと思えました。
研修は本当に厳しかった。内容を細かく書いたら疲れる(詳細に覚えていない)ので省略しましたが・・・本当に地獄でした。
でも、この地獄を耐えたらこれからの職務も耐えれるみたいです。
あの研修所は「経費削減」とか言ってるけど削減するんなら、やたら量がある弁当を削減した方がいいと思う。完食できたことは一回もない(最高でも8割)が限界です。
あとで山口の人に何人か聞いたけど皆性欲度が0だったみたいです。まぁあんなとこに一週間もいれば当然だと思います。(俺だけじゃなくて良かった)
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